「子どもというのは、今自分が苦境にあることを理解していても、誰かに〈助けて〉とは言えないものです。自分から、どうSOSを出したらいいかがわからないからです。」(写真:講談社)

「大丈夫か」と声をかけられて

そしてもうひとり。忘れられない厚意の人。

公園で生活していると、雨宿りはなんとか公衆トイレでできても、ご飯も試食コーナーで済ませられても、お風呂だけはどうすることもできませんでした。洋服もまったく着替えていなかったので、日に日に私の臭いはキツくなっていったと思います。

学校側でも、この子は育児放棄をされているんじゃないかと、先生たちが心配をしていたことを、のちに聞きました。だけど、外国人という壁もそうですが、きっと家庭の問題に対して口を出すことには、結構皆さん悩まれ、足踏みをしてしまうのだと思います。

「大丈夫?」と一言をかけてくれる大人が、いませんでした。ですが、その一言で救われることだってあります。

私の場合は、給食を作っている通称「給食のオバちゃん」の一言が救いでした。

私が公園から学校へ行き、おうちでもある公園に帰ろうとしたら、オバちゃんが校門のところに立って待っていて、「ねえ、大丈夫? 私はここで給食を作っているんだけど、大丈夫なの?」と、声をかけてくれました。はじめて誰かが「大丈夫か」と声をかけてくれたのです。