見覚えのある本棚は

こうした現実の苦さと厳しさを直視すると、センチメンタルな気分も冷めていく。そんなわけでわたしは今日も淡々と近所のコミュニティ・センターにコロナ検査キットをもらいに行くのであった。

実はこのセンターは、昨秋亡くなった友人が入り浸っていた場所でもある。近所の図書館に通い詰めていた彼は、図書館が閉鎖され、このコミュニティ・センターに図書室という形で移動してからはこちらの常連になっていた。しかし、この図書室というのが曲者で、地元のお母さんやお父さんが幼児を連れてきて遊ばせることができる子ども遊戯室と兼用になっている。というか、正確には、子ども遊戯室の一角に置かれた段ボール箱に絵本が入れられ、その脇にテーブルとコンピューターが一台置いてあるだけで、これを図書室と呼ぶのは詐欺だろうと言いたくなるようなありさまだった。

その問題の部屋は、わたしがいつもコロナ検査キットをもらっているコミュニティ・カフェの隣にある。年末から幾度となくこのセンターに来ているが、友人が亡くなって以来、隣室は覗いたことがなかった。週に2日は必ずここに来ていた彼が、いまもテーブルに着いて本を読んでいるような気がして、彼の不在を確認するのが怖かったのである。

だが、今日はカフェの奥の扉が開け放たれていて、ついに隣室を見てしまった。

「え」

と、わたしは二度見した。そこには図書室の風情があったからだ。子ども遊戯室の壁に背の高い本棚が4つ並んでいる。わたしはふらふらと隣室に入って行って本棚の前に立った。見覚えがある本棚だからだ。そしてそれは、わたしの仕事部屋にあるものと同じだからという理由ではない。

「本棚を取り付けられたんですね」

子ども遊戯室兼図書室の係員に言うと、彼女は答えた。

「はい。ここをよく利用していた方が寄付してくださったんです」

それらは亡くなった友人の家にあった本棚だった。イケアの「ビリー」がコスパ面ではいいぞ、と彼に勧められてわたしも同じ本棚を買ったのだから、忘れるわけがない。

もうこの部屋に彼は座っていなかったが、彼が使っていた本棚がある。

ぼんやりしていると、小さな子どもがトコトコと本棚に近づいて、低い位置に並べてある絵本を必死で取り出そうとしていた。

ライフは続くよ。