「最後のコックニー」世代
「冬の英国の濡れた脱脂綿のような空」という表現は、うちの連合いの言葉である。彼がそれを言ったとき(もう20年以上前だと思う)、なんて秀逸な比喩だろうと感心した。本を読まない人(20年以上前からホリデーのたびに同じ本を持っていく。まだ10ページぐらいしか読めていない)だから、どこかで読んだ言葉ではないだろう。「俺のオリジナル」と彼は主張している。だから本人の許可を得て、実はこの表現をパクらせてもらったことが何度かある。
連合いは所謂「コックニー」である。イーストエンドと呼ばれるロンドン東部の街で生まれ育った人のことをそう呼ぶ。再開発と国際化が進んだロンドン東部では、下町らしい町並みも姿を消し、昔ながらのコックニー英語を操る人も希少になったと言われて久しい。ひょっとすると、連合いなんかが「最後のコックニー」世代なのかもしれない。
「濡れた脱脂綿」という表現を彼から聞いたときも、「さすがコックニー」と感心してしまった。コックニーは比喩を交えて喋るのが好き、とロンドンの語学学校で教わったことを思い出したからだ。たとえば、日本では中学校で教わる「as 〜 as」(〜と同じぐらい)構文だが、コックニーがいかにこれを多用するかは、例えばマイケル・ケイン主演の1960年代の映画『ミニミニ大作戦』などを見ればわかる。そして「as 〜as」の慣用表現は、英国で英語を学んでいる海外出身の学生を大笑いさせるものが多い。
「as cool as a cucumber」なども「キュウリと同じぐらい冷静」という意味だが、どうしてキュウリが常に冷静だとわかるのかという点は英語学習者の笑いを誘うし、coolという言葉に「冷たい」という意味もあることを利用しての喩えだったとして、ひんやりと冷たい物体はほかにもいろいろあるものを、なぜキュウリでなくてはいけなかったのかという疑問も残り、やっぱりおかしい。「as tough as old boots」(古いブーツと同じぐらいタフ)というのも、「She is as tough as old boots」と聞かされていた人に会うと、そのエレガントな女性の姿が古くてごっついブーツのイメージとだぶり、シュールな喩えに笑いそうになったこともある。わたしがこれらの表現を愛するのは、喩えに使われているモチーフが、キュウリとか古いブーツとか、やけに生活感あふれる物たちだからだ。その点でいえば、冬の曇り空を濡れた脱脂綿で表現した連合いの比喩もきわめて英国的なのかもしれない。