「今の時代、人々の情けってものが痩せ細ってきたと思うんですよ。日本人から情けを引いたら何が残るんだろう」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける俳優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第2回は俳優のイッセー尾形さんです(撮影:岡本隆史)

<前編よりつづく

外側から作っていくのが好き

第二の転機、フリーになって模索のときを迎える。

私が最初に早稲田大学の大隈講堂で観た「妄ソーセキ劇場」(2015年)は、はたして今の人たちが夏目漱石作品のパロディを面白がるのか、ということが疑問だった。

でも、最近になってイッセーさんが書いた『シェークスピア・カバーズ』という作品を読むと、マクベスの暗殺者たち、ジュリエットの乳母など、脇役が主役になっていて無類に面白い。

そう言えば、漱石のパロディも主役は脇役たちだった。

 

――あのときは漱石さんに、すがったんですね、ある意味で。演出家と離れて、自分では書くけれども、一度漱石さんが作った脇役たちに寄り道したことが、僕を豊かにしてくれてますね。

『シェークスピア・カバーズ』も、僕がネタを作るのと同じ作り方で、一行書く。それが面白かったら次が出てくる。即興で作る。やっぱり文章は自由奔放に飛んでいける。だいたい一人芝居は一つの場所で行われるんだけど、文章はそれが面白かったですね。

フリーになってから、時間ってものが僕の演出家になりました。書いたものを次の日読むとつまんないとこが目につくんですね。で、1週間後になるとまた、ここはいらない、となる。だから今いろいろ発表してるものは、時間切れの結果なんです。