「ヨグマタ」(ヨガの母)と呼ばれている相川圭子さん(相川さん撮影◎宮﨑貢司 写真◎AC)
女性で初めて、「究極の悟り(サマディ)]に達し、世界に2人しかない「ヒマラヤ大聖者」となった相川圭子さん。世界の平和のために、日本だけでなく各国で研修やスピーチを行っています。これまで多くの人々に癒しや愛を届けてきた相川さんが、初めて自身の人生について振り返り、ヨガの母と呼ばれるに至った経緯、思いを語ります。
(構成◎丸山あかね 写真提供◎サイエンス・オブ・エンライトメント)

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「相川ヨガ」の誕生

私はヨガによって、常に前進する大きな力を得ていました。そのパワーの源はどこから来るのか、ヨガにおける「神」のことを知りたいと思っていました。そして大病を経験したことで、体を健康にするヨガの威力を改めて知り、この計り知れない深い教えをもっと多くの人に知らせなければという使命に駆られました。

退院後、「相川圭子総合ヨガ健康協会」を立ち上げたのです。それはヨガにずっと携わり、もっと極めたい心があったからです。誰もがヨガを知らなかった時代から深く知っていたヨガと離れてはいけない、という強い思いもありました。そしてもっと多くの人にこの素晴らしさを伝える使命がある、私はその役目を仰せつかったのだと感じたのです。

私が26歳の時、のちに「相川ヨガ」と呼ばれるようになる、古今東西のヒーリングの要素を加えた、独自のヨガを考案しました。本場のヨガに加え、整体やマッサージや鍼灸、エネルギーワークや心理学や食養、宗教、禅の考えなどから生まれた独自のヨガを発明したのです。お年寄りや体の弱い人もできる、体が柔らかい人ばかりでなく、誰にでもできる総合的なヨガを作ったのです。

最初は電柱にビラを貼って生徒さんを募っていました。当時はよく電信柱に歯科医とかマッサージ師や個人病院の広告が貼ってあったので、真似てみたのです。

もっと効果的に多くの人に知らせたいと考えた時、閃いたのはライオンズクラブやロータリークラブという団体です。本部に電話をして講演をやらせてくださいと頼みました。男性の経営者ばかりの中で、ヨガの健康法を説いていたのです。当時は誰もヨガを知らない時代ですから新鮮に感じられたのでしょう、大変喜ばれました。

受講者の中に洋服メーカーを経営されていた方がおり、招かれてその会社のお針子さんに毎週ヨガを教え、帰りに洋服をいただいたりしたこともあります。

『慈愛に生きる-ヒマラヤ大聖者 相川圭子自伝』(著:相川圭子/中央公論新社編)