お悩みその2 俳句に向いていないのでは

お悩みのより大きな問題は、次のところだと思う。「鈍感な私は俳句に向かないのでしょうか」。向き不向きの問題だ。

私も最初の吟行で、花菖蒲の前で真剣にそう考え、うちしおれたのは先述のとおり。自分には資質がないのではと。

けれど思う。もしあそこで先生なり俳句歴の長い人なりにそう問うて「はい、そうです。菖蒲を見ても3枚とか左巻きとしか思い浮かばないようでは、あなたは俳句に向かないからやめたほうがいいです」と答えられたからといって、やめただろうか。

ともかくもやってみる、という選択があるだろう。

精神科医の文章で、次のようなことを読んだ記憶がある。とりあえずやってみれば、やらない人より刺激を受け、それによって気持ちが明るくなる、最大のメリットは楽観的な人間に近づいていけることだと。

続けている今も、果たして向いているのかどうかわからない。というより考えなくなった。向き不向きを問うのは意味のないこと。そのあいだに一句でも多く詠む、あるいは人の句を読む。そうするうちにいつの間にか「俳句が趣味の人」になっていた。

「向き不向きを問うのは意味のないこと。そのあいだに一句でも多く詠む、あるいは人の句を読む。そうするうちにいつの間にか『俳句が趣味の人』になる」(写真:本社写真部)

俳句に限らず、趣味に限らず、ものごとはそうなのかもしれない。