お悩みその3 苦手意識

「植物の季語が苦手です。これぞ俳句という感じで、プレッシャーを感じます。詩らしくしようとすると花言葉のようになってしまい、それを避けると理科の観察記のようになってしまいます。できれば詠みたくありません」

『60歳、ひとりを楽しむ準備-人生を大切に生きる53のヒント』(著:岸本葉子/講談社+α新書)

理科の観察記……身につまされる。初の吟行の菖蒲を前にしての私が、まさにそうだった。そしてその悪癖がなかなか抜けなかった。

さきに書いた「見れば感じる」の焦りの他、相談者の言うプレッシャーもありそうだ。「この花は昔から日本人がいろいろな思いを託してきたに違いない」と。

高校の古典の授業や百人一首の経験が、悪く作用するのかもしれない。植物の脇の立て札に「この花は万葉集の頃からよく詠まれ……」などと歌が書いてあったりする。

ものを知らないのも恥ずかしいので、歳時記で季語の説明も確かめ「ああ、この花にはそういうことを感じるべきなのだろうな」「こう詠むべきなのだろうな」と、説明のほうに自分を合わせようとしてしまう。

説明にあることそのままでは芸がないと思い、少し外して、かつ何らかの詩心をはたらかせようとし、たとえばカタクリの花ならば「日陰に咲く」「うつむき加減」「控えめに」など、相談者の言う花言葉……を通り越し、流行り歌のようになってしまう。

われながら陳腐に思えて、詩心を控えると、3枚とか左巻きとか理科になる。その堂々めぐり。

ひと頃は吟行先が何かの花の名所だと、それだけで気が重くなっていた。が、どこへ行っても植物はあるわけで、まさしく逃れられない。