「図案を考えるのに夜中の2時、3時までかかることもありましたが、夫は何も言わない人でした。特にサポートしてくれることもなかったけれど、文句も言わない。」

親戚相手に編み物教室を

23歳の時に兄の学生時代の友人と結婚しました。それを機にイルゼ先生のもとを離れたのはつらかったです。これからは自分だけの編み物になると思っていました。しかし、なんと義姉(伊藤実子さん)が編み物が大好きな人で。私の高松宮妃賞受賞も知っていて、「私たちに教えてちょうだい」って。

結婚から2ヵ月も経たないうちに、義姉の家で親戚相手にお教室を開くことになりました。夫も兄弟姉妹が多かったので、総勢10人ほどになったでしょうか。

以来、教えることが楽しくなり、生徒さんの数もどんどん増えていきました。長男が6歳の頃からは義姉の強い勧めで作品展を開催するようにも。これは2015年まで50年間、2年ごとに開催してきました。結婚後も編み物から離れることなく来られたのは義姉のおかげです。

 

――嫁ぎ先は、室町時代から続く旧家中の旧家、松坂屋を創業した伊藤家。旧家ならではの付き合いをこなしながら会社員(後に松坂屋子会社の社長)の夫を妻として支え、子どもを育てながら編み物作家・指導者としても活動した。

 

息子が小さい頃はやはり子育て中心でした。当時、保育園は一般的ではなかったのです。義母も実母も最後は私たち夫婦と同居することを望みましたので、介護もやりました。

その間も編み物を続けることができました。図案を考えるのに夜中の2時、3時までかかることもありましたが、夫は何も言わない人でした。特にサポートしてくれることもなかったけれど、文句も言わない。夫の親友は、「それは妻を理解しているってことだよ。彼の愛情の証」と言ってくれました。

息子の友達もよくうちに遊びに来ていました。大学生になってからも、多い時にはリビングに10人以上も。彼らが私のことを「魔女」って呼ぶの。

近所の方も、「魔女いる?」とか言いながらやってきて。暇な時は一緒に雀卓を囲むこともあるんですが、さっきまで隣に座っていた私がいつの間にか食事の支度を終えているから、彼らはびっくりする。それで「魔女」と呼ぶのです。