伊藤さんが着用しているニットは「ハイドパークの薔薇」(2001年制作)という作品。ビーズを部分的に編み込んだシルクの薔薇の花と、金色のラメ糸の葉が華麗な一着(撮影:藤澤靖子)
戦後まもなくヨーロッパの本格的な編み物を学び、現在も指導者として活動を続ける伊藤浩子さん、89歳。彼女の作品2点が2021年11月、手編み作品として初めて英国のヴィクトリア&アルバート博物館に収蔵された。ニットに捧げた人生とはーー(構成=島内晴美 撮影=藤澤靖子)

4歳で棒針と毛糸を与えられて

初めて手編みに出会ったのは4歳の頃。私は6人きょうだいの3番目ですが、下に妹が生まれ、母もあまり手をかけられなくなったのでしょう。棒針と毛糸を与え、編み方を教えてくれたのです。母が妹の世話をしている間は寂しかったけれど、編み物は楽しくて。すぐに大好きになりました。人生最初の作品はお人形にかける毛布です。一目一目ゆっくり編みました。

思えば昔、神戸に住んでいた祖母が、大正時代に船で神戸に着いたヨーロッパ人の先生から、編み物を習ったと聞きました。その頃は誰でも編み物ができたものです。直接祖母から手ほどきは受けませんでしたが、祖母から母へ、そして私へ、自然と受け継がれたものはあるのかもしれません。

戦争中は毛糸が簡単に手に入らなくて、古いセーターをほどいて編み直したり、代用品の糸――当時は「真綿の糸」と呼んでました――で編んだり。終戦の数ヵ月前に群馬県の渋川市に疎開して、12歳で終戦を迎えました。

東京から疎開するといじめに遭ったりつらい思いをした人もいるようですが、私は幸いにもそういう経験はしなかった。むしろ疎開先での生活は楽しくて、今も渋川時代の友人たちとはとても親しくしています。

東京に戻ったのは終戦から2年後。毛糸も再びたくさん売られるようになって、とても嬉しかったです。

ちょうどその頃、ルーマニア出身の渡辺イルゼ先生の編み物雑誌が創刊されました。外国人の女性や子どもたちが異国のモダンなパターンのニットを着た写真とその編み図が紹介されている、立派な雑誌です。ヨーロッパのセンスと美、ファッション性、デザイン――何もかもが新鮮で、私はすっかり心酔してしまいました。