クマソ退治の主人公が美少年として再認識されたのはいつか
『あつた大明神の御本地』に、新築いわいのくだりはない。そのかわりに、作者は春の花見を、宴会の場面としてはさみこんでいる。
この宴席には、クマソ中の美女があつめられることとなった。族長の川上タケルが、心にかなう女をさがしだす。そのためにもよおすパーティであるという。美女のだしおしみをはかってはならない、かくしたものは死罪という布告も、発表された。
この話を聞いて、景行天皇の皇子・ヤマトオグナは、ほくそえむ。部下をあつめ、こう言いはなった。
「よきさいわいこそいできたれ、我女のすかたにさまをかへ、花見のさしきへ立出て、ひまをうかゝい、たけるを取ておさへ、かいせん事はいとやすし」(『古浄瑠璃正本集 第五冊』 1966年)。チャンスがめぐってきた。花見の桟敷へは、自分が女になりすまして顔をだす。隙をついて、川上タケルを殺害するのはたやすい、と。
こういう決意表明のシーンも、記紀にはない。『あつた大明神の御本地』がつけくわえた場面である。
花見の宴がはじまり、川上タケルは「あまたの女を、見まはし」た。「かなたこなたを」ながめ、「天人」のようなヤマトオグナを見つけている(同前)。さらに、女装の皇子を自分のそばへひきよせた。
種本となった『日本書紀』以上に、川上タケルの面喰いぶりは、誇張されている。同時に、ヤマトオグナの美貌も、原典よりきわだつこととなった。
記紀では、新築いわいにあつまった女たちの中から、皇子はえらばれている。彼女らが、容貌にひいでていたとは、とくにしるされていない。しかし、『あつた大明神の御本地』はちがう。ここでは、美女あつめの会につどった女たちをさしおき、皇子が選抜された。女装皇子の器量は、原作以上に強調されているとみなしてよい。
『あつた大明神の御本地』は、ヤマトオグナの容姿にも言いおよぶ。すなわち、「ようがんひれいにして」、と(同前)。容顔は美麗であったという。
これより前の『平家物語』や『草薙』などに、こういう言及はない。『平家物語』以後の文芸は、皇子のルックスをとりあげてこなかった。『草薙』にいたっては、彼を「翁」、つまり老人として登場させている。
ようやく、江戸期の、17世紀なかばをすぎてからなのである。クマソ退治の主人公が、女にも見まがう美少年として、再認識されたのは。