クマソ退治へ向かうヤマトオグナ(のちのヤマトタケル)へ、餞別として衣を贈るヤマトヒメ。「日本武尊 : 家庭歴史文庫」(著:杉谷代水、久遠堂)より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション
英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。第16回は「女装の皇子がかえってきた」。

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『あつた大明神の御本地』

浄瑠璃の演目に、『あつた大明神の御本地』という一作がある。成立の過程は、わからない。ただ、1665年の版本には、その記録がのこっている。江戸中期に義太夫がはやる前の、いわゆる古浄瑠璃である。

標題からもわかるとおり、熱田神宮の創建伝説がテーマになっている。この神社は、ヤマトタケルがのこした草薙剣を御神体として、なりたった。ヤマトタケルの東征をへたあとで、できている。作品の素材にも、おおむね東征をめぐるエピソードがつかわれた。種本は『日本書紀』である。

だが、西征の女装譚も、ここにはいかされている。全体は6段で構成されるが、その初段は、もっぱらクマソ退治にあてられた。ヤマトタケルが女になりすます場面も、とりあげられている。

記紀が編纂されたあと、日本の文芸はながらくこのシーンをかえりみなかった。そこへ950年ほどの時をへて、ふたたび光があたりだしたのである。その意味では、画期的な作品だったと位置づけうる。

さて、記紀のクマソは館の新築にさいし、宴をもよおした。女装のヤマトタケルが潜入したのは、その宴席である。この話が、『あつた大明神の御本地』では、よりおおげさになっている。また、変形もこうむった。