なぜ偽装におよんだのか
なぜ、そんな偽装におよんだのか。兄のオオウスは我執が強い。帝位をのぞむあまり、ライバルたりうる皇子がいれば、あやめてしまうおそれもある。その可能性に景行はおびえ、皇子に皇女のふりをさせつづけた。近松の設定は、以上のようになっている。
この偽皇女は、長じるにしたがい美貌の姫として、さわがれだす。「帝の娘子(神賢姫《カシキヤヒメ》)日本一の美人」という評判も、わきおこる(『近松全集 第十二巻』 1928年)。そのため東国、そして西国の首長からは求婚の申しこみも、まいこんだ。
紆余曲折をへて、カシキヤヒメは西国の九州へとつぐこととなる。そして、景行は女になりきった皇子へ、旅立つ前に密命をあたえている。
「真の女と心を許(ゆる)す八十(ヤソ)の梟帥(タケル)が閨(ねや)の中、思うまゝに誅伐(ちゅうばつ)し西国を従(したが)へ帰洛あれ」(同前)。ヤソタケルは、おまえのことを女だと思いこんでいる。枕をかわす閨房のなかで、ひと思いに殺害してしまえ。その勢いで西国を制圧し、都へ凱旋しろ、と。
記紀では、皇子が自らの判断で、女スパイのような凶行を敢行した。しかし、近松は父の景行を女装作戦の立案者に、したてている。原典の筋立てを、おもしろおかしく書きかえている様子が、うかがえよう。
女になった皇子が、ヤソタケルを殺害する。その場面へいたる展開にも、近松はひねりをくわえている。ヒメが男であることを、あらかじめヤソタケルに気づかせていた。兄のオオウスに、内情暴露の密書を西国へおくらせて。女装もふくめ、手の内が事前にばれた状態で、作戦は実をむすぶのか。そんなドラマで、観客をあおろうとしている。
江戸時代の浄瑠璃も、草薙剣をことほぐ聖剣の物語という構えは、すてていない。剣のにない手という、かつての軍記文学や能楽がえがいたヤマトタケル像を、ついでいる。しかし、同時に、以前はないがしろにされた女装譚を、前面へおしだしてもいた。この点では、室町期までの構えを、大きくかえている。
記紀の景行天皇は、東征へでかけるヤマトタケルに、従者をつかわした。そのなかに、キビノタケヒコという武人がいる。西征には、したがっていない。彼が皇子に随伴したのは、東征のほうだけである。
そんなキビノタケヒコを、『あつた大明神の御本地』は、西征にもつきそわせた。もとは東征限定だった登場人物に、西征譚でも役目をあたえている。
じつは、近松の『日本武尊吾妻鑑』も、キビノタケヒコに出番をもうけていた。しかも、西征の女装作戦をささえる重要人物として。この設定変更は、『あつた大明神の御本地』に源流がある。近松がこの先行作を参照していたことは、うたがえまい。