いじられた女装譚の筋立て

『あつた大明神の御本地』がしめすドラマの筋立てへ、話をもどす。川上タケルは、二人だけになれるところへ、ヤマトオグナをさそいこむ。ころあいを見はからって、皇子は剣をぬき、相手をさそうとした。

ころされそうなまぎわに、クマソの族長は命ごいをする。また、たずねもした。あなたは、何者なのか、と。女装の主人公は、即答した。ミカドの皇子、ヤマトオグナだ、と。感じいった川上タケルは、『日本書紀』と同じで、自分の名を謹呈しようとする。作者は、こんな言葉を族長に言わせている。「今より後は、やまとたけと、なのり給へ」(同前)。

クマソの族長、川上タケルを殺害するヤマトオグナ。このとき自らの名《タケル》を謹呈したとされる「日本武尊 : 家庭歴史文庫」(著:杉谷代水、久遠堂)より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション

皇子は、族長がもらした助命のねがいを、しりぞけた。当初の予定どおり、ほうむりさっている。だが、名前の件では敵の要請を聞きいれた。「此時よりも、やまとたけとは申すなり」(同前)。『あつた大明神の御本地』には、そうある。

作者は、女装譚の筋立てをいじっている。さまざまな変更を、こころみた。だが、クマソの族長による命名という本筋は、かえていない。そこはゆるがしがたいと、考えたのだろうか。

浄瑠璃の演目を、あとひとつ紹介しておこう。近松門左衛門に、『日本武尊吾妻鑑(ヤマトタケノミコトアズマカガミ)』という作品がある。1720年に大阪の竹本座で上演されたことが、わかっている。「日本武尊」という表記は、これが『日本書紀』にもとづくことを物語る。しかし、その女装譚は『あつた大明神の御本地』以上に、原典を逸脱していた。

この作品でも、主人公は九州のヤソタケルからヤマトタケルの名を、おくられている。しかし、皇子の生育歴が記紀のそれとは、ずいぶんくいちがう。近松の景行天皇は、皇子のことを生まれた時から、女子だといつわりそだててきた。カシキヤヒメの名をあたえ、皇女にしてしまったのである。