現実と向き合う人は強い。悩むより備えよ
以前、私は『厄祓いの極意』という本を書きました。あなたは厄の定義を明確に言えますか? 多くの人は、その定義を知らないまま、闇雲に恐れています。「厄年だから悪いことばかり起きる。厄祓いに行かなければ」と考えがちですよね。
この本では、厄とは何かを詳細に解き明かしました。本質がわかれば、厄への向き合い方も見えてきます。本では、身体から人間関係にいたるまで、70もの厄に関して対処法を示しました。
悩みの場合もその本質を見つめ、3つのキーワードから分析して、対処法を導きましょう。たとえば親の介護の場合、「一人娘なのに介護してあげられない」と自己憐憫にふける時間があれば、役所に行って具体策を相談しましょう。そして介護費用が足りないならば、嘆く前にパートでもして、1円でも多く費用を稼ぐほうが現実的です。
また厳しいようですが、親が自分の介護費用を残していないこと自体が、責任主体に欠けていると言われても仕方のないことでしょう。我が子に依存しようとしても、子ども自身が病気になる場合もあります。
今や長寿社会なのですから、自ら保険を積み立てるなど具体的な準備をしておくことが大切です。人は悩むわりには、意外と無計画に過ごしがち。将来への不安を愚痴るくらいなら、お金を貯める。「悩むより備えよ」です。
過去のトラウマで悩むのは、これまた厳しいようですが、自己憐憫の極致と心得ましょう。文句ばかり言っている人は幸せになれません。変えられない過去をグジュグジュ言うよりも、これからの未来を自分で切り拓くのです。
人は、「うんざり!」と思うほど身に染みる経験をしなければ自分を変えられないものです。煮立ったやかんに触って「熱い!」と思えば、二度と触らないのと同じ。ですから経験と感動を積み重ねることは大切です。
ある意味、人生において自らの力ではどうにもならないような経験をした人は、たましいの視点で物事をとらえる強さがあるかもしれません。震災に遭ったり、早くに親を亡くしたり、生まれつき病気を抱えている人などは、自己憐憫に意味のないことや、依存心を持っても仕方がないこと、責任主体で生きるしかないということを、身をもってわかっているのではないでしょうか。
あなたの人生には、必要以上の良いことも悪いことも起きません。だからあとは目の前の問題に、現実的、理性的にどう対処するかだけ。あれこれ思い煩ったりする必要はないのです。悩みグセから脱却し、安心して生きていきましょう。