家族が果たすべき責任は「愛し続けられる態勢を作ること」

「介護はプロとシェアしなさい。家族の役割はその人を愛することと割り切って」──今井先生からこう教わって初めて、自分が「介護家族の責任」を履き違えていたことに気づきました。

娘の私がいるのに、母の世話を他人のヘルパーさんに押し付けるなんて、責任逃れ……それまで内心そう思ってきました。でもそれは言葉を変えれば、世間体を気にしていたということです。「あそこの娘さんは、ぼけたお母さんの面倒も見ずに東京におるなんて、何を考えとるんじゃ?」そんな陰口をたたかれるのが怖かったのです。

だけど今井先生の話を聞いて、母の介護を全部自分で引き受けようとすることこそ、無計画で無責任なのだと思い知りました。

そりゃあ最初は高揚するでしょう。「母のためにこんなに頑張ってる自分、すごい!」と思って。期間がいつまでと決まっているなら、頑張り続けられるかもしれません。

だけど介護は何年続くかわからないんです。

長引けば、息切れして追い詰められます。そうしたら、すべての原因である母のことを恨むようになるかもしれない。あんなに大好きだった母なのに。

それならば、家族が果たすべき責任は明らかです。「ずっと介護が続いたとしても、母を無理なく愛し続けられる介護態勢を作ること」──そのためのプロとのシェアなのです。

まあそうは言っても、ヘルパーさんへの申し訳なさが急に消えるわけではないんですが……。でも「申し訳ない」を「ありがとう」に変えて、ヘルパーさんに頼るところは頼って、自分がつぶれないようにするのが、ひいては母のためでもあるんですよね。

これからは、プロの人たちと介護をシェアすることで生まれた余裕を、母を愛することに向けよう。母が「もうわかったけん。ええけん」と音を上げるくらい抱き締めてあげよう。そう心に決めたのでした。