「今回は見送ろう」
「武漢の帰国者? 新型コロナ? これ、DMATが出るべきことなのか?」
DMAT事務局からのメールに、前橋赤十字病院の中村光伸(なかむらみつのぶ)は疑問を感じざるを得なかった。
病院の高度救命救急センター長を務める中村は、DMAT隊員としても長年、活動してインストラクターの資格を持つ、いわば「常連」である。自然災害の現場には幾度も自ら駆けつけ、部下を派遣し、どっぷりと活動にかかわってきたが、今回の派遣要請には、いつになく立ち止まって考え込んでしまった。こんなことははじめてである。
新型コロナウイルスは、群馬県内ではまだ一人も感染者が確認されていなかった。そういうまっさらな地域からわざわざ出かけていって、感染しているかもしれない人と接するということのリスクを、どうとらえるべきなのか。
自分だけならまだよい。チームとして、看護師や事務スタッフの隊員を連れ出していいのか。
帰って来てから、どのような影響があるだろう。感染のリスクもさることながら、それ以上に心配なのは、風評被害である。職場や地域で、隊員やその家族が、差別されることになるおそれがあるのではないか。それを押してでも、出るべきなのか―。
どう考えても、すぐに結論が出せることではなかった。
「今回は見送ろう」
しばらく考えて中村はそう決め、病院長に出動許可は求めなかった。
同様の判断をした者が多かったのか、他の災害時に比べ、参加に名乗りを上げたチームは決して多くなかった。
帰国者が滞在する政府施設の一つでは、近隣の公立病院に応援を頼んだところ、病院長と看護部長が現場にやってきたという。部下を「危険な業務」に派遣してよいものかためらったすえ、医師と看護師のトップが自ら出てきたというわけだ。
※本稿は、『命のクルーズ』(講談社)の一部を抜粋したものです。引用にあたり、数字・漢字の表記を改め、一部言葉を補いました。
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2020年2月、3711人の乗員乗客を乗せたダイヤモンド・プリンセス号の船内で新型コロナウイルスの感染が拡大。乗客乗員を船内に隔離したまま、1カ月半にわたり横浜港・大黒ふ頭に接岸することとなり、最終的に死者は13人、感染者は712人にまで及んだ。混乱をきわめた船内で、医師たちは困難なミッションにどうあたったのか? 「薬を」「情報を」焦燥を募らせる乗客の気持ちに、彼らはどう向き合ったのか? やがて迎えた、大切な人との別れーー。医師、乗客への重厚な取材で描きだす、感涙のノンフィクション。