音も気配もなく、それでいて着々と

船上では、船長主催の送別カクテルパーティをはじめ、いくつものイベントが予定通り開催されていた。

『命のクルーズ』(著:高梨ゆき子/講談社)

手芸や絵画といったカルチャー教室が開かれ、シアターではオペラが上演され盛況だった。相変わらずカジノに夢中になる人もいたし、日がな一日ジャン卓を囲んでマージャンを打つ人たちもいる。

船側から、新型コロナについて何らかの情報が伝えられることもなく、乗客は、これまでと同様、自由に船上生活を楽しんでいた。もちろん、マスクをする人もいない。

船の4階部分に、医師や看護師が常駐するメディカルセンターがもうけられている。着岸したときの出入り口となる階に位置しており、入院ベッドも備えていて、ちょっとした診療所の機能を持つ。

多くの乗客が、それぞれに残りわずかな船上生活を満喫していたこのころ、メディカルセンターには、発熱やせき、のどの痛みなど、何らかの症状を訴える患者が次から次へと訪れていた。ツアー中に発症して受診した人の数は、数十人規模に上った。

しかし、ほとんどの乗客はそれを知る由もない。

新型コロナウイルスという見えない敵は、音も気配もなく、それでいて着々と、船上の人びとに忍び寄っていたのである。