発展途上国で支援をしたいという夢

ある時は、胃を火で焼かれているような強烈な痛みが走り、またある時は胃に砂利が入っているような猛烈な異物感を感じる。
胃腸内科に通い続けてもまったく改善せず、胃カメラを飲んでも原因がわからない。
とにかく太りたい。普通にご飯が食べたい。

この状況がいつまで続くのか。終わりが見えない不安で気がおかしくなりそうだった。
シェアハウスは坂の上にあったのだが、バイトに行こうと坂を下ると、吸収されない水が歩く度お腹の中でちゃぽちゃぽと音を立て、かき混ぜられる。
そしてバイトが忙しい時は食事休憩がなかなかとれず、空腹になると胃酸が出て胃がキューっと痛くなる。
なんとか食いしばってバイトは続けていたが、症状が酷くなり、やむなく辞めた時期があった。

日常生活さえままならず、「休学」「退学」という文字が何度も頭に浮かんだ。
結局休学はしなかったが、生理も2年間止まり、完全に普通食に戻ったのは、4年生の冬、卒業間近の頃であった。

1~2年生の時、ゼミの前身のようなグループ学習があった。学籍番号で割り振られた生徒と、テーマを決めて学ぶ。そこで出会った子たちは、私と同じように、いつか海外で働きたいという志を持っていた。ある子は3年生からの留学に向けバイトや英語の勉強にいそしみ、ある子は長期休みを利用して海外のスタディーツアーに参加していた。

スタディーツアーに行った子によると、同じ大学の先輩が、在学中に現地でNPOを立ち上げ、移住までしているという。
スタディーツアーで訪れた地球の果ての地で見た景色、現地の人々との交流、立ち上げた事業の話は、とても熱があって、刺激的で、圧倒的リアリティがあった。
自分がまさにいままで夢見てきたことを、現実にしている。なんとも頼もしく眩しかった。

その後も、海外に渡った人の体験談を聞く機会に恵まれたが、決まって出てくるエピソードは、エアコンや清潔な水のない地域で、熱射病になったり、何日もお腹を下して倒れたというものだった。

当然の話なのだが、医療もなかなか整備されていない地域で、身体が弱い人が戦力にならないという現実を、いやという程突きつけられた。
衛生的には非常に恵まれていて、医療にもかかれる日本にいてもなお、熱中症で何度もダウンし、胃腸を壊しまくっている自分が、発展途上国で支援をしたい、と思うことが、どれだけ荒唐無稽なことか、よくわかったのだった。

私は15歳から強く抱きしめ続けてきた夢にさよならを告げた。

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