「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに、ライターとして活動をしているヒオカさん(写真提供◎ヒオカさん 以下同)
貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第9回は「大学に進学するも夢破れた話」です。

呼吸が苦しくなるほどにむせび泣いた

大学への進学を機に、私は18年住んだ地元を離れて、関西に引っ越した。

大学進学を目指すようになったのにはキッカケがあった。
15歳の時、発展途上国で支援をする人々のドキュメンタリーを見て、その映像に釘付けになったことがあった。
世界には、衣食住を確保することもままならず、飢えに苦しみ、衛生状態の悪い中生活をしないといけない人たちがいる。そして、支援のために奔走する人たちがいる。その現実は衝撃的で、今でも鮮明に覚えている。私はその映像を見ながら呼吸が苦しくなるほどにむせび泣いた。

その日から、自分は将来外国に行って、困難の中にいる人を支援する仕事に就くのだと、信じて疑わなかった。

見渡せば山川田んぼしかない過疎地でも、本を読めば色んな世界に意識を飛ばすことができた。

大学生が、いろんなキッカケから海外、といっても観光や留学に訪れるメジャーな都市ではなく、僻地へと旅立ち、日本という温室にいたら絶対体験できない出来事に遭遇し、幸せって何? 生きるとはどういうこと? 安定とは? といった、人生の本質ともいえるような問いにぶち当たって、一皮もふた皮も向ける。そんな体験記を読みながら、心臓を掴まれたような感覚になった。

閉鎖的で小さな噂が一瞬で広まるような、小さな小さな村。
ここで生まれここで育ちここで、ここしか知らずに死んでいくのは耐えられないと思った。
広い世界をこの目で見たい、そんな希望が心に灯った。

(写真提供:写真AC)

私が大学に行きたいと思ったのは、海外で働く準備をしたいと思ったからだった。
何の知識もないより、学んで強くなって支援に向かうほうがいいと思ったし、体験記に出てくる学生はなぜかみな有名大学の学生だった。
勉強するモチベーションは、より人の役に立てる人間になりたいという思いだった。