花郎の女装とヤマトタケルのそれは、本質的にことなる
しかし、私はこれらの見解をしりぞける。新羅の花郎に、女装の歴史があったかどうかを、うたがうためではない。かりに、その女装が史実であったとしても、私はこういう見方を否定的にうけとめる。花郎の女装とヤマトタケルのそれは、本質的にことなると考えるからである。
花郎はたたかう男たちの精神的な紐帯となっていた。高貴な美少年であり、周囲の輿望をになっている。あでやかによそおい、自分にあこがれる兵たちをふるいたたせるのが、つとめであった。
今日の軍隊になぞらえれば、その役目は軍楽隊に近い。あるいは、部隊の慰問に力をつくす芸能者、花形のアイドルか。
だが、ヤマトタケルは戦士集団を鼓吹していない。その女装作戦は、単独行動に終始する。ひとりで敵陣へのりこみ、自軍の兵などいない場所で、敵将を籠絡し殺害した。
そこに、自軍を酔わせる花郎の、顕示的なかがやかしさはない。彼の成功は、くノ一や女スパイのひそやかな任務遂行と、同列に位置づけうる。
ヤマトタケルの女装を、新羅の花郎とならべたがる。そういう論じ手は、みなヤマトタケルの隠密性から、目をそむけている。女装者としての魅力は、ヤマトタケルの場合、舞台裏で開花した。だが、花郎のそれは、表舞台で発揮されている。このちがいを、見おとしてきた。あくまでも、花郎は女装者だったと仮定した場合の話だが。
ともかくも、8世紀初頭の日本には、敵を脳殺する女装美少年という英雄像があった。少なくとも、記紀の編者たちは、それを英雄の業績からはずそうとしていない。勇猛な敵をも罠にかけてしまう男子の美貌は、高く買っていた。
新羅花郎との連動説は、その歴史に目をつむっている。くノ一めいた男を主人公とする物語が、公的な歴史書にしるされた。そんな8世紀はじめの現実に、むきあっていない。