同じ穴の狢になっている
ヒメヒコ制を言いたてた、たとえば宮井義雄は、こう話をすすめる。かつて、邪馬台国ではヒミコが男弟と祭政一致の統治を、くりひろげた。推古女帝と聖徳太子の支配も、同じしくみのなかにある。
ヤマトタケルも、これらの例につうじる女装をこころみた。その「点に古代的特徴がみとめられる」、と(「日本武尊」1968年稿/肥後先生古稀記念論文刊行会編『日本文化史研究』1969年)。
オナリ神まで話をすすめた畠山篤は、つぎのように言う。ヤマトタケルは「近・現代人には考えられないほどの巨大な存在である」。女装譚については、「成立した時代の読みとりもしなければならない」、と(「ヤマトタケルの女装」(『女装の民俗学』1994年)。そうことわったうえで、畠山はヒメヒコ制などに言及した。
彼らの言わんとするところは、明白である。どちらも、「古代的特徴」、「成立した時代の読み」を重視する。フェイクガールがハニートラップにおよぶ物語として了解することを、いましめる。そんな話ではない。古い時代の、その時代ならではの背景をもつ物語として、うけとめよ。そう言っているのである。
ほかにも、女装の場面を「古代成年式」の「物語化」だとする人がいる(星山真理子「『倭男具那命』考」『国文学研究』1976年2月号)。
なるほど、『古事記』の描写はそのように読めなくもない。クマソへおもむく前の皇子は、少年らしく髪をゆっていた。そして、女装にさいしては、その髪型をあらためている。少年時代の髪を、やめていた。これを、「成年式」へいたる一過程として読みこむ余地はある。
しかし、『古事記』の編者が、なによりもそのことを書きたかったわけではあるまい。娘らしい髪にするため、少年風の髪をあらためた。編者があらわそうとしたのは、そこまでであろう。「成年式」へのプロセスであることを強調したのだなどと、どうして言えるのか。まあ、編者は、それと意識せずに、「成年式」の風俗を叙述へ投影したのかもしれないが。
とにかく主題は主人公の女装、ハニートラップ、そしてテロにあったはずである。「成年式」説も、そこから目をそらすためにひねりだした、無理筋の深読みでしかない。
前に、もう学界の議論は相手にしないと、そう書いた。にもかかわらず、また私はそちら方面の議論をむしかえしている。
くりかえすが、圧倒的な定説は神威説である。しかし、斯界にはそれ以外の解釈が、ないわけでもない。事情通の読者は、それらの諸説へむきあわない姿勢を、とがめる可能性がある。ほかの説からはにげる気か、と。前言をひるがえしたのは、こういう難癖をさけるためである。
いずれにせよ、研究者たちの解釈は、みな記紀の明示的な記述をゆがめている。女装者の誘惑とテロの物語を、すなおに読もうとしない。かしこげな理屈で、ハニートラップ以外の何かを、つかみだそうとしている。その点では、宣長いらいの定説とかわらない。同じ穴の狢(むじな)になっていると考える。