‘Gojōbashi no tsuki’,(一部) by Taiso Yoshitoshi.
Image via Library of Congress
英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。第7回は「人を斬る美少年」、前回に引き続き「牛若/義経」を取り上げる

前回●出っ歯よばわりをされた、もう一人の「義経」…

市中のおいはぎめいた悪人にされてきた弁慶

弁慶には、刀剣類を千本あつめようとする野望があった。そのため、夜ごとに、通行人から武器をうばいとっている。もう、九百九十九本まで、手にいれた。あと一本で、悲願は達成される。そんな晩に弁慶は源義経、牛若とであい、この夢をうちくだかれた。

多くの人が想いうかべるふたりの物語は、そういうドラマからはじまる。そして、この筋立てをつくったのは、室町時代の物語作者たちである。なかでも、『義経記』の存在は大きい。ふたりのかかわりをめぐる伝説の多くは、たいていこの軍記文学に根ざしている。

刀剣類の強奪へ弁慶がおもむく話も、『義経記』にはある。その第三章第五節は、「弁慶洛中に於て人の太刀奪ひ取る事」と、題されていた。そして、弁慶はその第五節で、ついに「九百九十九腰」まであつめきる。なお、「腰」は刀や袴などの点数をしめす助数詞である。この第五節へ、「弁慶義経に君臣の契約申す事」という第六節が、つづいていく(岩波文庫 1939年)。

くりかえすが、今日の牛若伝説は、ほぼこの型におさめられている。牛若とであう前の弁慶像でも、例外はまれである。どの物語でも、弁慶は市中のおいはぎめいた悪人にされてきた。読み物のみならず、映画やテレビの時代劇などでも。

『牛若丸 : オトギヱバナシ』(石川兼次郎・画作、富士屋書店、1929年) 国会図書館デジタルコレクション