悪人が良き家来を獲得して、大団円をむかえる話

女装のにあう美少年という設定は、『義経記』とかわらない。しかし、『橋弁慶』では、牛若のほうが悪漢になっている。「千人斬り」をこころざす殺人者として、登場する。これは、そんな悪人が良き家来を獲得して、大団円をむかえる話なのである。

『橋弁慶』は、室町時代に御伽草子の読み物としても、まとめられた。こちらでも、「うしわかまる」は人斬りとして、あらわれる。「ちゝよしともの十三ねんき」に、「平家のやつはらを、千人きり」たおす(『室町時代物語大成 第十』1982年)。父、源義朝の十三回忌に、平家を千人殺して供養する。牛若には、そんな大望があったとされている。 

凶行におよんだ場所は、やはり五条橋であった。そのため、「千人はかりのしがいを、河原おもてに、かさね」る光景も出現する(同前)。河原には、千体の死骸が横たわっていたというのである。たいへんなテロだと言うしかない。

ただ、平家への復讐という動機が、御伽草子ではしめされた。父の十三回忌にという言い分も、そえられている。能の牛若とちがい、愉快犯めいた印象はただよわない。現代人には、こちらのほうがうけいれやすかろう。

能の『橋弁慶』で、牛若は母の常盤にせめられ、人斬りの続行をあきらめた。ただ、母からその非をたしなめられる場面が、この演目にはない。母にしかられるシーンは、『笛之巻』というべつの能に、おさめられている。

大蘇(月岡)芳年が描いた牛若の母・常盤御前 「皇国二十四功 常盤御前」1895、転々堂主人(誌)/芳年(画) 国会図書館デジタルコレクション

『笛之巻』で常盤は、亡夫源義朝の旧臣から、息子である牛若の所業を聞かされる。おどろいた母は、牛若をきびしく叱責した。「夜な夜な五条の橋に出で、人を失ふ由を聞くぞとよ。真(まこと)さやうにあるならば。母と思ふな子とも又思ふまじ」(前掲『謡曲大観 第四巻』)。お前は五条橋で、毎夜人をあやめていると聞く。もし、そうなら、もう母子の縁はきる、と。

とがめられ、牛若は反省する。母の膝許へ歩みより、「許し給へと泣きゐ」った(同前)。これが、『笛之巻』の山場になっている。『橋弁橋』は、この続篇にほかならない。

牛若をテロリストとして位置づける。この牛若像は、江戸時代の前半ごろまでたもたれた。もちろん、弁慶のほうを武器強奪の悪人とする『義経記』以来の構図も、なくならない。ふたつの見方が、どちらも、ある時期までは並行して語りつたえられた。