無慈悲で美しいテロリストの系譜
1715年に、『広益俗説弁』という本が刊行された。世にはびこる歴史上の俗説を、実証的に批判する著作である。考証家として知られる井沢長秀が、これをまとめている。
その「巻十二」が、義経の千人斬りをとりあげ、否定した。こんな振舞いは亡父の追善になりえない。むしろ、追悪である。人さえ斬れば武人として、りっぱに見える。そういうあさはかな考えで「義経の武勇を称せんとて、跡かたなき事妄作し」たのだ、と(『東洋文庫 五〇三』1989年)。
大平の世をむかえた江戸中期には、戦国の遺風がきらわれだす。武ばった侍は、古めかしくうつるようになってきた。そんな時勢のなかで、英雄・義経の千人斬りという話も、きらわれだしたのだろうか。
しかし、どうだろう。室町期以後、少なくない文芸が義経、牛若をテロリストとしてえがいてきた。それは、ただ「武勇」を誇張するためだけの虚構だったと、言えるのか。
室町文芸は牛若、若い義経を、特権的な美少年にしたてあげた。女と見まちがう英雄像を、こしらえている。ひょっとしたら、この美貌幻想もまた、テロリズムへの期待をあおったのではないか。
幕末に新撰組ではたらいた沖田総司は、人斬りの冷酷な侍であったという。であるからこそ、美貌の剣士であったとする後世の思いこみも、強くなる。それとにたような想像力のからくりが、義経、牛若にも作動したのではないか。
ぶさいくな男たちは、あまりこういう空想をかきたてない。美しい男子こそが、テロにふさわい人物として、想いえがかれる。あるいは、むごい振舞いも美形ならゆるせると、考えられたのかもしれない。いずれにせよ、『橋弁慶』などが「武勇」だけを強調したかったわけではないだろう。
どうやら、無慈悲で美しいテロリストの系譜を、さぐっていかねばならないようである。女になりすます殺人者の物語へ、これからは光をあてていく。義経以外の残酷な、そして時に性をこえる英雄伝説の系譜へ、目をむけたい。日本の文芸史が、新しい角度からながめわたせれば、さいわいである。