兄弟姉妹による祭政の分掌「ヒメヒコ制」の投影

ヤマトタケルの女装については、ほかにもいくつかの説がある。

三峯神社にたつヤマトタケル像。埼玉県秩父市。(写真提供:PhotoAC)

たとえば、それを太古のヒメヒコ制になぞらえる論客がいる。古い時代には、政治と祭祀を兄と妹、あるいは弟と姉でつかさどることがあった。兄弟姉妹による祭政の分掌が、しばしばこころみられている。それをヒメヒコ制とよぶ。そして、ヤマトタケルの女装には、この統治形態が投影されているという。

ヤマトタケルは、叔母であるヤマトヒメの女服をまとっていた。そこに、女の祭祀性と男の政治性が共存する姿を、一部の論じ手は読む。叔母と甥のくみあわせは、兄弟姉妹の変形だという。そして、こういう統治の形を象徴する物語として、ヤマトタケルの女装譚はある。以上のように分析する人がいる。

その延長上に、沖縄のオナリ神がもちだされることもある。姉妹の霊能が、旅にでる兄弟をまもる力となる。沖縄では、このオナリ神信仰が、近年までたもたれた。それと同じ考え方は、ヤマトタケルの女装譚にもある。ヒメヒコ制をうんぬんする議論は、しばしばそこまで話をふくらませる。

しかし、女装譚に叔母が顔をだすのは『古事記』だけである。『日本書紀』の西征に、ヤマトヒメはでてこない。今、紹介した論法で説明ができるのは、『古事記』のほうだけである。

その『古事記』にさえ、ヒメヒコ制やオナリ神をしのばせる記述は、見いだせない。しるされた文章から直接読みとれるのは、ヤマトタケルの女装とテロだけである。ヒメヒコ制などの潜在論は、そのうんちくをもつ歴史家らの臆測でしかない。