抗がん剤治療に毎週通う
花子 そのころはあまり意識がないんです。でももし意識があったら痛くて大変やった。不幸中の幸いやな。
大助 朦朧としているのを見て、これはあかんと緊急搬送したときに主治医の先生から宣告されたのが、余命1週間。「たとえ治っても、生涯車椅子を覚悟してください」と言われたし、あとで聞いたら、「こういう状況の花子さんを受け入れていいものか」と病院側も相当悩んだらしいね。大きいので10センチ、小さいので5センチくらいの腫瘍が眼球の後ろ、首、肩、肋骨とかに8つもできていたから。
花子 右目なんて、はっきり飛び出てたもんな。舞台のときにメガネがかけられないくらい。
大助 先生方が全力を尽くしてくれて、抗がん剤治療とリハビリを続けた結果、20年4月に退院することができました。
花子 ただ、首にできた腫瘍が神経を圧迫したことで、まだ手足が思うように動かせなくて。
大助 入院中から、リハビリと作業療法の先生が機能回復のためのプログラムをいろいろ組んでくれたのを頑張ってこなして、退院のときには車椅子から立ち上がって、自分の足で正門から出られたのは偉かったと思う。家でも車椅子でトイレまで行って、穿き替えたオムツを自分で捨てられるようになったし。
花子 オムツをしてるのは、薬の影響でたまに下痢をするから。いまは毎週金曜日が抗がん剤の日。数値が落ち着いたタイミングで、コロナのワクチンも打つことができました。