赤のボディコンに身を包み、携帯電話を掲げた《バブリー芸人》として大ブレイクした、お笑いタレントの平野ノラさん。「芸人になる」と決意するまでは、人生に迷い、足の踏み場もないほどの汚部屋の住人だったと語ります。

1冊の本から片づけについて知り、それまでの場所も生き方も手放し、思い切って片づけた「第一次・大片づけ期」を経てコメディスクールに入学。芸人としての道を歩み始めた後も、汚部屋に逆戻りしたことが何度かあったと言います。そんなノラさんが、「1日15分のバブリー片づけ」に目覚め、人生の転機の前には必ず大きな「片づけ」を行うようになった、その理由とは――?

36歳、片づけをして「バブリーキャラ」に絞ったら、大ブレイク

32歳で飛び込んだお笑いの世界はそう甘くありませんでした。

入学の翌年に運よくデビューできましたが、すぐに売れるようなネタはそう簡単にはできず、これがダメならあっちのキャラ、とライブでいろんなキャラを演じてみたものの中途半端なネタばかり。

ピン芸人としていろいろなキャラがあることは、ある意味正解だし、武器になっていたと思います。でも、武器が足かせになることもありました。

演じていたキャラクターは、例えば、シスター、プロボウラーの女、D夫人、バイカー風のヘルメットの女、卑弥呼、そしてバブルの女もありました。キャラクターの数だけ付随する衣装や小道具や資料やネタ帳などもあり。とにかく何か使えそうな小道具や衣装などもしまい込みモノがどんどん増えていき、部屋は再びモノであふれ、汚部屋になっていました。

そんななか、少しずつテレビに出られるようになっていき、業界の人たちに顔を覚えられるようになっていました。年末年始は2年連続で「ネクストブレイク芸人」枠でバブリーキャラでテレビに出ていましたが、「今年ブレイクしないと、来年はもうないな」って思ったんです。