ゴシップやデマとは異なる噂が輿論(世論)である
先ほど引いた三木の言葉に戻ると、三木はこの噂について「有力な批評」だといっています。三木は次のようにいっています。
「(報道が統制されている場合)公然たる輿論の材料として生きることのできぬ報道は自己を潜在的輿論のうちに生かせようとする。かような潜在的輿論が流言蜚語にほかならない」 (「清水幾太郎著『流言蜚語』」書評、『三木清全集』第十七巻所収)
ここでは、ゴシップやデマとは違う噂のとらえ方がされています。輿論(世論)は今の時代も形成されます。戦前は、これが潜在的なものでしか存在しえませんでした。情報や意見は検閲によって公にならず、戦争反対の輿論は弾圧されたのです。
そのような時代に、輿論は潜在的なものとして伝えられました。哲学者の田中美知太郎は、戦争中、遠慮のない時局談ができたのは三木一人しかいなかったといい、三木が話していたことを伝えています。
「独ソ戦開始のころ、うっとうしい梅雨空の日に、戦局の見通しを語り合って、この度の戦争はヒットラーの自殺をもって終り、いわゆる枢軸の惨敗となるというようなことが、多少は心からの希望をまじえて、ひょっこりと口に出たりした」(「三木清の思い出」『田中美知太郎全集』第十四巻所収)
この「三木説」を人々は伝え合いました。これは三木自身が流した潜在的輿論としての噂といえます。
「これは三木氏のためには危険なことであったが、馬鹿げた新聞記事に欺かれている人たちに、世界戦局の正しい見方を教えるのに有効なので、私自身も他人の説として、私自身の註釈は加えず、なにげなくこの三木説を紹介したことが、何度かあったように記憶する」 (前掲書)