考えが違う相手とも結びつく

親子関係だけではありません。他の対人関係においても、人と人との結びつきは自動的に成立しません。どんなに親しい友人であっても、終始仲がよかったわけではないでしょう。その時々で距離は変わっていきます。

密に会ったり連絡を取り合ったりしていた時期もあれば、しばらく、あるいは長い間疎遠になる時期もあります。しかし、コロナ禍のような状況でなかなか会えなくなっても、親友であれば関係は簡単には切れないものです。

他の人から、付き合う相手として選ばれなかったとしても、それによって感じる孤独など取るに足らないものです。なぜなら、その人は「付き合うのが有利かそうでないか」という基準からしか人を見ないことがわかったわけですから。

しかし、この場合も、自分自身は「有利かそうでないか」という基準で対人関係を選んだ経験はこれまで一度もなかったか、これからも決してしないかといえば、断言できないでしょう。

そうであれば、自分から離れていった人であっても、分別してはいけないのです。自分と敵対するように見える人と結びついていると感じるのは容易ではありませんが、総じていえば、他者を分別しようとする人も、人とのつながりを求めていないわけではないのです。

ただ、人とつながるための適切な方法を知らないのです。そのように理解すれば、他者を分別する人も、アドラーのいう「仲間」(Mitmenschen)です。そのような人ともつながっている、結びついているという意味です。

ここに他者から離れていることを孤独に感じ、自分を捨てて他者に合わせて生きていた人がいるとします。そのような人が、たとえ孤立しても人と違うことを恐れず生きる段階を経て、自分と考えを異にする相手とも結びついていると思えるまでの道のりは遠いかもしれません。

しかし、「孤独の哲学」を知っているのと知っていないのとでは、大きな違いがあるでしょう。

※本稿は、『孤独の哲学 「生きる勇気」を持つために』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。


孤独の哲学 「生きる勇気」を持つために』(著:岸見一郎/中央公論新社)

孤独感や孤立とどう向き合うべきか? どうすれば克服できるのか?老いや死への恐れ、コロナ禍やSNSの誹謗中傷などますます生きづらくなる社会に、「救い」はあるのか?
著者はアドラー心理学を読み解く第一人者だが、NHKの「100分de名著」では三木清の『人生論ノート』やマルクス・アウレリウスの『自省録』を取り上げるなど、古今東西の哲学に詳しい。哲人たちの思索の上に、自らの育児、介護、教職経験を重ねて綴る人生論。