自分を心地よくするのは自分の責任
山登りを通じて、自分の体と向き合うことも覚えました。
これまでに浅間山を始め、穂高岳、八ヶ岳、谷川岳などの山に登ってきましたが、個人的には100の山に挑戦するより、ひとつの山に100回登るほうが性に合っているなと感じます。
いつもはこのあたりでも平気なのに、今日は息があがる、など体調のバロメーターにもなりますし、行くたびに景色も変わり、新たな発見があって面白いですから。
私の《ホームマウンテン》は浅間山ですが、慣れ親しんだ山道を歩くと心がスッキリします。
生きているといろいろな試練がありますよね。結果的に学びになるということはあっても、悩みの渦中にいるときは苦しい。しかも、つらい出来事を魔法のように解決することはできないのが常です。
けれど山は「それはしょうがない」と諭してくれる。諦めるのではなく、受け入れると楽になるよ、と。砂を入れた器を外からトントンと叩くと、きれいに整いますよね。それと同じような感覚で心も整うのです。
自分にできることとできないことを見極める大切さも、山は教えてくれました。私は、頂上を目指すことをゴールにしていません。初心者だった頃は登頂を目標にしていましたが、無理して目指すから挫折してしまうとわかった。体力や技術を過信して無茶をすれば怪我をしたり、遭難してしまうことだってあるでしょう。
ダメなら潔く諦めて、また目指す。山はなくなりませんから、焦ることなどないのです。
それに山登りは苦しみながらも楽しむことであり、山頂からの景色は英気を養うためのもの。なにしろ恐怖の下山が待ち受けているのですから、油断禁物。急がば回れで余裕をもって、人と比べず自分のペースで淡々と。
失敗してもあとで笑い話になる、と信じて歩み続ける。山の教えは人生の教訓に繋がっています。
コロナの影響でしばらく山登りはお休みしていましたが、そろそろ再開したいと考えているところです。体力的な衰えは否めませんが、それもまたしょうがない(笑)。この歳になって、「こうでなければならない」という思考と決別しました。
私には、「いくつになっても前向きに頑張ろう」といった風潮がしんどい。趣味だって無理してやることはないと思うし、いつも完璧な自分でなくてもいいですよね。
人生の後半は自分ファーストでというのが持論です。自分を心地よくするのは自分の責任。これからも、心と向き合いながら生きていきたいと思います。