売れっ子となり、超多忙な小島の後任に
教室には、学生を中心に多くの歌手志願者が集まった。堺正章や鈴木やすし、「ヒデとロザンナ」のヒデなど、みな高校生だった。そんな生徒の中にジャズ歌手を志望する一人の娘がいて、後に息子の嫁になるという縁を生んだ。
当時、小島は売れっ子になっていて、超多忙だった。ラジオ東京(現東京放送)で「ミュージックレストラン」という番組が企画された。ビッグバンドの演奏をバックに気鋭のジャズシンガーたちが歌うという公開生番組だった。新機軸を狙ったプロデューサーが、司会進行と指揮者を兼ねる役回りに小島を抜擢した。
小島はソフトな語り口とベスト・ドレッサーの紳士として、たちまち女性ファンを集めた。日本テレビの「シャボン玉ホリデー」や「イレブンPM」の司会者になり、日本ではまだ珍しかったMC(Master of Ceremony)の地位を確立していくのである。
忙しくなった小島は、担当していた日劇ダンシングチームの歌唱指導の仕事に手が回らなくなった。すると、親会社の東宝に、後任として松谷を推薦してくれたのである。持つべきものは友だった。
日劇の踊り子たちのレッスンは楽しかった。
出演の合間を縫って時間割が組まれる。出勤して楽屋口から入り、古い鉄の格子扉がついたエレベーターに乗ると、ちょうどフィナーレを終えた大勢の踊り子たちが裸同然の衣装でどっと乗り込んでくる。みな背が高く、はち切れそうな若さできゃーきゃーと大騒ぎである。地階から3階まで、エレベーターはゆっくりと上昇する。松谷は、隅に押しつぶされそうになりながら、ちょうど目の高さにある彼女らの立派な胸が嫌でも目に入り、有難く鑑賞することになるのだった。
松谷にはある悩みが生まれた。