実篤作品の影響

『エライヒトノハナシ』という本がある。日本史上の傑物をえらび、その伝記をならべた一冊である。全編がカタカナでしるされた、子どもむきの偉人伝集となっている。刊行されたのは、1933年である。

なかに、「ヤマトタケルノミコト」という一篇が、おさめられている。それは、こんな書きだしではじめられていた。

『ドウダ ヲンナニ ミエルカ。』
ト ヤマト タケルノミコトハ ケライニ オツシヤイマシタ。
『ハイ マルデ ヲンナノ ヤウデ ゴザイマス。』

話の頭から、女装者として登場する。さらに、女装のできばえを家臣に聞く。女に見まがうという返事をもらい、自らの女装作戦に自信をもつ。この出だしは、実篤の『日本武尊』につうじあう。

「どうだ。之で女に見えるか」。実篤作品は、主人公のそんな台詞で舞台が開始されていた。17年後の伝記も、ヤマトタケルのほぼ同じ文句で、話がはじめられている。「ドウダ ヲンナニ ミエルカ」、と。ふたつを読みくらべてほしい。後者が前者を借用したことは、うたがえないだろう。

実篤が昭和30年から晩年の20年間を過ごした邸宅は現在公園になっている。東京都調布市。(写真:PhotoAC)

『エライヒトノハナシ』にでてくるヤマトタケルの家来は、不安もいだいていた。敵のクマソは強い。はたして、主人をこのまま単身でおくりだしてもいいのか。そうなやんでいる。同じ心配は、実篤の『日本武尊』がえがく部下の丁も、かかえていた。「ヤマトタケルノミコト」は、まちがいなく文豪の劇作を手本にしていたろう。