20世紀前半までの児童書の描写と表現
自分が、ちゃんと女に見えるかどうかを不安がる。敵を誘惑する魅力があるかどうかに、心をくだく。そんな男が冒頭から、主役としてでてくる芝居を、現代人はどううけとめるだろう。おそらく、子どもむきの演劇だとは、考えまい。成人用のそれだと、みなすのではないか。
だが、このオープニング・シーンを、1933年の児童書は、ほぼそのまま流用する。『エライヒトノハナシ』に収録された「ヤマトタケルノミコト」は、まるごととりいれた。著者の杜修之助は、これを子どもに読ませたくない話だと考えない。版元である金の星社も、すばらしい人物の物語として発刊した。
このおおらかさは、しかし『エライヒトノハナシ』だけにかぎらない。20世紀の前半までに出版された児童書は、よくヤマトタケルの女装をとりあげた。クローズアップさせてもいる。
『金港堂豪傑ばなし 日本武尊』(1902年)を、例にとる。やはり、子どもむけの読み物である。そして、少女になりすましたヤマトタケルをえがいている。さらに、見そめたクマソ兄弟の反応と彼らの心中を、こう描写していた。
「尊(みこと)の姿が目につきました。ハテ奇麗な小女(こむすめ)ぢやなと、たいそー喜んで、自分の膝下に引き附けて、『サゝ飲め注(つ)げ』と戯言(からか)って、前後も知らず、二人とも、そこへ酔倒れて仕舞ました」(同前)。
ここでは、美少女の出現をよろこぶ兄弟の助平心が、率直に表現されている。ヤマトタケルがハニートラップに成功する様子も、あらわにしめされた。当時の児童書は、その表現をためらわなかったのだと言うしかない。
このあと、主人公は酔いつぶれた兄弟を殺害する。臨終をむかえた弟から、タケルの名をもらう。『古事記』でおなじみの話が、つづいていく。そう言えば、ヤマトタケルは叔母から彼女の衣裳を、手わたされてもいた。その点でも、この本は『日本書紀』より『古事記』を重んじていたと、言ってよい。