20世紀の読書界は女装とテロを描いた話を少年少女へとどけていた
ねんのため、これまでのおさらいをしておきたい。
江戸時代のはじめごろまで、ヤマトタケルは草薙剣とともに、ふりかえられてきた。能楽や御伽草子は、聖剣伝説の人物として、語りついでいる。女装のにあう美少年という記紀の設定が、かえりみられた形跡は、とくにない。
様子がかわったのは、江戸期にはいってからである。17世紀後半からの浄瑠璃が、新たに女装者としてのヤマトタケル像を浮上させた。そして、このイメージを読本などの世界へ、ひろげていく。
明治期になっても、この傾向はかわらない。あるいは、20世紀をすぎても、つづいている。浄瑠璃で形成された女装者像が、基本的には継承された。
新しく追加された要素が、なかったわけではない。たとえば、女装の完成度を気にするヤマトタケルの姿は、一種の新機軸となっている。はたして、うまく女になりおおせることは、できたのか。クマソのリーダーを悩殺できる水準にまでたっしていれば、いいのだけれども。そう想いをめぐらせるヤマトタケル像は、新時代のたまものであったろう。
あと、話の構成が『古事記』へよりかかりだした点も、近代以後の趨勢だと考える。クマソをひきいる指導者が、兄と弟のふたりになる。女装につかう衣裳は、叔母のヤマトヒメからゆずられる。そういった筋立ての読み物が、20世紀にはふえている。『日本書紀』に依拠してきた江戸期までとくらべ、その点は対照的である。
また、女装の物語が児童文学へひろがったことも、特筆しておきたい。美しい英雄が、女をよそおい、その魅力で敵の男を籠絡し殺害する。そんな話が、20世紀には子どもの読み物へとりいれられた。一種のメルヘンとしても、読みつがれるようになったのである。
くりかえすが、『金港堂豪傑ばなし 日本武尊』は1902年に刊行されている。その3年後に、歴史家の小野籌彦(かずひこ)が「日本武尊西征考」という文章をあらわした。なかに、ヤマトタケルをめぐるこんな指摘がある。
「熊襲の魁師(かいし)を誅し給ひし事蹟は有名なることにて小学校児童も之を熟知する所なり」(『史学界』1905年 第7巻第4号)。
クマソの統領をなき者としたいきさつは、よく知られている。小学生でも、わきまえているという。じっさい、20世紀の児童書は、女装とテロの物語を、かくさずえがきだした。子どもまで了解しているという言葉に、嘘はない。
女装譚は、はじめ浄瑠璃のなかで浮上した。大人の娯楽として、江戸中期にはたのしまれだしている。そんな物語が、明治後期にはおさない者をも、まきこんでいった。
想いだしてほしい。やはり歴史家の中村孝也が書いていた。女装者が凶行におよぶ話は、「お伽噺らしい英雄譚」になる。また、「児童心理に適合せる教材」でもある、と(「日本武尊説話」『歴史と趣味』1935年 第12巻9号)。
前にこの評価(第9回)を読んで、いぶかしく感じた読者もいたろうか。女装とテロをえがいた話の、どこが子どもむきなのか、と。だが、20世紀の読書界は、たしかにこの話を少年少女の世界へとどけていたのである。だれもがあこがれてしかるべき、英雄の物語として。