相模国(現在の神奈川県)で待ち伏せしていた国造を征伐するヤマトタケル。「小学国史物語:5年前」(著:元島英三ほか、小学館)より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション
英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。第19回は「浄瑠璃から児童文学へ」。

前回●新羅の戦士集団を鼓舞した美少年…

武者小路実篤の描いたヤマトタケル

武者小路実篤は、20世紀のはじめごろから文筆活動を開始した。以後、70年近く執筆をつづけている。その文業は多岐にわたる。詩や小説、評論にとどまらず、劇作も数多くのこしている。

なかに、『日本武尊』という戯曲がある。1916年の秋に書きあげられた。世に出たのは、翌1917年である。全四幕の脚本になっている。記紀の、とりわけ『古事記』を下じきにして、台本はととのえられた。ただし、ヤマトタケルの表記は、『古事記』の「倭建命」になっていない。『日本書紀』と同じ「日本武尊」が、えらばれている。やはり、「倭」より「日本」ということか。

この脚本を傑作として評価する人には、あまりであったことがない。同じ実篤の『人間万歳』や『愛慾』あたりとくらべれば、評価は低そうである。だが、そこにしるされたヤマトタケル像は、注目にあたいする。

このドラマも、女装者としてのヤマトタケルをとりあげていた。その点は、江戸期の浄瑠璃とかわらない。ただ、人物造形という点では、それまでにない性格をもりこんでいる。

たとえば、実篤のヤマトタケルは、女装のしあがりぐあいを気にとめる皇子となっていた。

具体的にのべよう。実篤はヤマトタケルを第一幕の第一場から登場させている。甲乙丙丁という四人の部下に見まもられつつ、女装をしおわった。そんな場面から、舞台の幕はあく。台本を見てほしい。ヤマトタケル(尊)と従者らは、こう語りあうことから、芝居をはじめている。

尊。どうだ。之で女に見えるか。
甲。(笑ひながら)まるで女としか見えません。
尊。どうだ、熊襲建兄弟が俺を見て心を動かすだらうか。
甲。大丈夫で御座いませう。
(中略)
丙。誰が見ても本当の女としか思へません。本当にお美しくゐらつしやいます。

(『武者小路実篤全集 第三巻』1988年)

同じ第一幕の第二場は、クマソタケルの館が舞台となる。酒宴が終盤をむかえたところから、開始されている。

クマソタケルの兄は、宴席で見かけたある女に未練をのこしていた。どうしても、物にしたいと思い、腰元へ命じている。あの娘をここへつれてこい、と。弟には、とにかくたいへんきれいな女だったんだからと、つげながら。

やがて、腰元はその娘、じつはヤマトタケルを、つれてくる。彼女、いや彼をむかえた兄弟は、こんな言葉もかわしあう。

兄。どうだ美しい娘だらう。
弟。本当に美しい娘で御座いますね。
(同前)

この後、兄弟は女になりきった主人公と、酒をくみかわす。そして、酔ったあげくにころされた。その直前に、弟は殺人者へ「日本武尊」の名を、さずけている。筋立ては、以上のように、おおむね『古事記』を種として、くみたてられた。

この作品に、どのような文芸史上の価値があるのかは、わからない。実篤がのこした劇作群のなかへ、どう位置づければいいのかを問われても、こまる。しかし、この戯曲はヤマトタケルを語る後世の読み物へ、たしかな影響をおよぼした。