3 万葉集
● 額田王(ぬかたのおおきみ)
「熟田津に船乗りせむと月待てば潮(しほ)もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな(巻118)」
(熟田津で船出しようと月の出を待っていると、幸い良い潮の流れとなってきた。さあ今こそ漕ぎ出そうぞ)
唐・新羅軍の攻撃を受け、滅亡に瀕した百済救済のため、斉明7年(661)、救援軍は難波津(なにはつ=大阪)を出発し、1月14日に伊予国熟田津の石湯(いわゆ)の行宮(あんぐう)に立ち寄った。伊予で軍備、水軍力の確保強化を終え、満を持して熟田津から筑紫国の娜大津(なのおおつ)(現在の博多港)に向けて大軍船団が出航した。その際に額田王が斉明天皇に代わり、渾身の力を込め、大号令の一声のもとに大軍船団を動かすこの歌を詠んだ。
● 山部宿禰(すくね)赤人
「ももしきの大宮人 熟田津に 船乗りしけむ年の知らなく(巻3‐ 323)」
この歌は山部赤人の長歌(巻3‐ 322)に続く反歌である。
赤人がいつ、何用で伊予の温湯に行ったかは不明であるが、「熟田津に船乗りしけむ年の知らなく」とは斉明7年(661)の百済救済の船出に想いを馳せている歌である。本当に年がわからないのではなく、前記の額田王の一声によって、筑紫へと船出していった一行の往時が遠い過去のことで、それほどこの地の歴史が古く、輝かしい永遠性を持っていることを讃美しているのである。道後温泉本館の「神の湯」男湯湯釜には長歌とともにこの反歌が刻まれている。