4 文学作品・文学碑
● 小林一茶
「寝転(ねころ)んで蝶泊まらせる外湯哉(かな)」
寛政7年(1795)、小林一茶は、師である二六庵竹阿(にろくあんちくあ)の旅の跡を慕い、松山の俳人栗田樗堂(ちょどう)らを訪ねて、松山を訪れた。その旅日記『寛政七年紀行』によると同年2月1日に「道後温泉の辺りにて」と前書きしたこの句がある。
● 夏目漱石
東京大学英文学科を卒業した漱石は、明治28年に愛媛県立尋常中学校の英語教師として松山に赴任した。翌年に転任するまでの間、道後温泉本館に足繁く通い、この経験から『坊っちゃん』を書き上げた。道後温泉本館3階には「坊っちゃんの間」があり、自由に見学ができる。
また、明治21年に伊予鉄道が松山市内で運行を開始し、漱石が『坊っちゃん』の中で「マッチ箱のような」と表現したことから、「坊っちゃん列車」と名付けられた。昭和35年に一時幕を閉じたが、平成13年に復活し、道後温泉の名物として汽笛を鳴らしながら市街地を走っている。
● 正岡子規
愛媛県松山市出身の正岡子規は、前出の夏目漱石と親交が深く、連れ立って道後温泉を訪れたという。昭和56年には「松山市立子規記念博物館」が開館。子規の糸瓜(へちま)を詠んだ辞世の「絶筆三句」や、夏目漱石、柳原極堂などの作品が展示されている。
(1)「糸瓜咲て痰のつまりし仏(ほとけ)かな」
(2)「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」
(3)「をとゝひの糸瓜の水も取らざりき」
● 高浜虚子
「ふるさとに花の山あり温泉(いでゆ)あり」