僕はもっと孤独だと思っていた

山形に行く一週間前、ジュニアさんがキャンプに連れて行ってくれました。

キャンプ場までジュニアさんに運転してもらう道中、「東京で楽しい思い出もあった方がええやろ」と言ってくれました。ジュニアさんと二人きりの車中で返事もままならないまま緊張の時間が過ぎて行きます。ジュニアさんってよく見るとイカツイ顔してはるなあ。

メチャクチャ怖い。ジュニアさんの車はクラシックカーというのだろうか? 一昔前の仕様の、古いけどおしゃれな車です。

「ダッシュボードを開けて中のものを取ってくれへん?」

わかりましたと開けて蓋を閉めようとすると閉まらない。あれ? と焦っていると、

「もっと思いっきり閉めてええで」

と言うので、バーンと勢いよく閉めても顎が外れたみたいにぶらーんと口を開けている。四、五回試しても閉まらなくて冷や汗をかいてると、

「こんなこと、一回もなかってんけどなあ」

と、よいしょとジュニアさんが閉めるとキチンと閉まりました。超売れっ子芸人の車にも侵食する僕の負のオーラに、すぐにでも距離をとりたかったであろうジュニアさんは、そのことには触れずにいてくれました。口に出すのも怖かったに違いない。

僕はもっと孤独だと思っていました。

今までずっと仕事がなかったので先輩に会う機会も極端に少なく、お酒も弱いから飲みにも行かず、僕にとって吉本は「baseよしもと」がすべてでした。劇場で会う人だけが、僕にとっての吉本だったのです。上の世代のテレビに出ている先輩が僕のことを後輩として見てくれているなんて、思ってもいませんでした。

一人でなんとか抗ってきたつもりでしたが、こうやって書くとみんな優しいなあ。

このときは気づけませんでした。

※本稿は、『脱・東京芸人 都会を捨てて見えてきたもの』(大和書房)の一部を再編集したものです。

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