いじられキャラになり周囲に擬態する

そうした周囲とのギャップを埋めるために自然と身についたのが、いじられキャラになること、だった。

1000円しない靴一足で過ごしていたら靴の底がはがれてベロンとなったり、合宿の時一人だけよれよれのしまむらのブラトップを着ているのが見つかりひやかされたり。そういう時、まず自分がボケて笑いとばすのだ。

「見て!!めっちゃ穴あいてんけど!!!」

「ほんまやん!ってでかすきやろ!!」

「あはははは!」

先に自分がボケることで、気まずくならず、あいつなんか変わってるけどおもしろいやつ、みたいな感じになる。

旅行の誘いを断り続けないといけなかったり、格安シェアハウスに住んでいるから家に呼べなかったり。そういう人間関係におけるハンデを、いじられキャラ、飲み会での盛り上げキャラでカバーしたかった。

これが私なりの普通に擬態する方法だったのだが、無理をしていたわけでも、実は悲しかったとかでもない。周囲がなんでもつっこんでくれるセンス抜群な関西人たちだったからこそ、悲観的になるようなことも笑いにかえて、さっぱりした楽しい思い出にすることができたのだ。

成人式で振袖を着られなかったことが心残りだったが、それを知った友達が学割で1900円で着物のレンタルショップを見つけてくれ、みんなで着物をきて京都散策をしたことは、いまでも大切な思い出である。

着物を着て歩いた京都の町(写真提供◎ヒオカさん)

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