休日にボランティア活動をし、「仕事」と「生きがい」のバランスを保って定年まで働こうと思っていたら、思わぬ話をいただいたとのこと(イラスト提供:イラストAC)

オフの日にやりたい福祉の活動をしよう

僕は意外と諦めが良く、現実的に物を考える方なので、その時点で、こう切り替えることにしました。もう仕事に生きがいを求めるのは止めよう、仕事は仕事で粛々とやり、オフの日にやりがいが満たされる福祉の活動をすればいい、と割り切ったのです。

ちょうど、フードバンク(フードロスを引き取り、必要とする人々へ届ける活動)に興味があったので、休日になると大量の飲みものや食料品を児童養護施設などに配送するボランティア活動に参加しました。

家族による養育が困難な子どもたちが一緒に暮らす場を回りながら、重い清涼飲料水を運び、汗を流しました。時々、腰を痛めながらも、日ごろは見られない現場をじかに訪問できることに新しい刺激や充実感を覚えました。

この時、僕は「仕事」と「生きがい」を一緒にすることを断念した、と言ってもいいかもしれません。本業は残念な感じにはなりましたが、このまま定年までいこう。

今のまま、不平不満を言わずに従順に仕事をする。そしてオフの時は「福祉のおじさん」となってバランスを保って最後までいこう。そう、自分の中で整理することができました。

「もみじの家」の話が僕の耳に飛び込んできたのは、50歳を超えて、ある意味、寂しい決断をした、まさにそんな時でした。

当時、僕は51歳。東京勤務の3年目で、次は「仙台に転勤」と辞令が出ました。

NHKでは、数年置きに転勤を繰り返しながら、60歳の定年前になると「故郷(ふるさと)人事」といって、住んでいる場所に戻してくれるというパターンがありました。

つまり、仙台で3~4年仕事をした後は、東京に戻って大人しく定年を迎えるのだろう……僕もそんな定番コースを通るのかなと漠然と思っていました。いわゆる、「先が見える」というやつです。