内多さんは1986年にNHKに入社後、高松、大阪、東京と放送局を渡り、その後名古屋放送局へ配属となります。この時に、定年後に役立つだろうと、50歳で社会福祉の資格を取ったそうです。そして2012年、2度目の東京異動で大きな転機が訪れました。
2012年、念願の東京へ
名古屋局から念願かなって東京に異動した僕ですが、転勤する2カ月前から、東京のスタジオから放送している『クローズアップ現代』の代行キャスターを任せられました。メインキャスターの国谷裕子さんが海外出張などでスタジオを空ける時、代わりに番組を進行する役割です。
代行キャスターは東京アナウンス室に所属しているアナウンサーが担うのが通例でしたが、その時は、どういうわけか名古屋にいる僕にお声が掛かったわけです。代行キャスターは、名古屋時代の短期間、異動後の東京でも2年間継続して務めました。
1993年から放送されている『クローズアップ現代』は、毎回、その時々の旬のテーマを取り上げ、専門家や取材者の解説を交えながら現代社会の「今」に正面から向き合う、NHKを代表する番組の1つです。
僕は代行キャスターなので1年に数回の業務でしたが、最先端のテーマに切り込み、第一線のディレクターや記者と渡り合いながら30分の番組に全神経を集中させ発信するという、非常にエキサイティングな現場に関わることができました。
僕はこの仕事にとてもやりがいを感じていたし、番組終了後はヘトヘトになるほど全力で、活き活きと仕事ができていたと思います。
その『クローズアップ現代』では、後に僕が転職する大きなきっかけとなる、「医療的ケア児の支援」についての企画・提案も自ら行い、とても充実した日々でした。元々興味がある分野でしたし、取材経験によって、より障害福祉について興味と関心、そして問題意識も深まっていきました。
こうして、今後もアナウンサー業務を続けながら自分の発信したいテーマで番組を制作することができれば、やらなければならない「仕事」と生きることの喜びや人生の潤いにつながる「生きがい」が適度なバランスを保てる。定年まで、そんな風にやっていければいいな、と考えていました。
その現場が、必ずしも『クローズアップ現代』である必要はありません。幅広いテーマを扱う番組のキャスターを担えるなら、年に1回でもいいから自分が取材したテーマで提案を出し、放送を通じて社会問題を提起する。そんな可能性のある現場にいられれば、そこでやりがいをずっと感じることができる、そう思ってモチベーションを上げていました。