一緒に泣いたり笑ったり

僕がアナウンサーという職業に目覚めたのは、3歳か4歳頃。戦争中のことですよ。4人きょうだいの末っ子の僕はすぐ上の兄とも6歳離れていて、一緒に遊んでもらえないものだから、ラジオが遊び相手だったの。それでアナウンサーの真似をするうち、だんだん自分もやってみたくなったんだね。小学校に入る頃には、アナウンサーになると決めていました。

高校では放送部に入り、大学も当時有名だった放送研究会に入りたくて早稲田大学を選びました。研究会の先輩には露木茂さんや鈴木史朗さんがいましたね。就職先としてTBSを選んだのは、ラジオとテレビの両方をやれると思ったから。

テレビに出るのは嫌いだけれど、ナレーションは好きなんです。『そこが知りたい』や『クイズところ変れば!?』は、ずいぶん長く担当させてもらいました。

一般的には「人はラジオよりもテレビに出たがる」と思われがちだけれど、僕はテレビが苦手でね。だって面白くないんだもん。構成が最初から最後まで決まっていて自由にしゃべれる時間がないから、窮屈で窮屈で。

もちろん、テレビに出れば有名になりますよ。街を歩けば振り返られる。でもそれは尊敬されているからじゃない。「チンパンジーだって振り返られる」って、新人アナウンサー教育でよく話したものです。

僕はテレビに出ないし取材で写真に撮られるのも苦手だから、電車に乗ってても誰にも気付かれずに街の面白いうわさ話を仕入れられます。スーパーでカミさんの後ろからカートを押しながら、「最近レタスが高いなあ」なんてことを肌で感じられる。

『ゆうゆうワイド』のキャッチフレーズで今も大好きなのが、「人情・愛情・みな情報」という言葉です。ラジオは、政治の話も嫁姑の問題もみな同等。ベトナム戦争があった頃、報道部の同期が「そういうニュースのほうが偉いんだ」みたいな言い方をするから、「じゃあお前は西郷輝彦を知ってるか」って大喧嘩になったことがあるんです。

情報にどっちが上か下かなんてありません。聴いてくれるお客さんとつながって、寄り添って、一緒に泣いたり笑ったり怒ったりするのが、ラジオの役割なんだと思います。

<後編につづく

 

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