わたしのだらしなさは父譲りかもしれない。父はあればお金は使ってしまう人であった。
ネパールに行ったり、珍しい車に乗ったり、古書を買ったり、釣り道具を揃えたり。
亡くなったとき、父の口座には四千円しかなかった。教職を勤め上げたというのに、わたしも時折入金はしていたはずなのだが、とにかく、使う人だったのだと思う。
ICUで管に繋がれている父をみながらわたしは立ち尽くしていた。最後に話したのは3ヵ月前の電話だった。わたしの娘のことで相談したことから始まった。
「それは、さやかの育て方が悪い」
と父は言った。
「え、わたし?」
「さやかの育て方だ」
「え、は?」
「あの子はいい子だから、さやかだろう原因は」
わたしは、はらわたが煮え繰り返るとはこのこと!という気分になって、
「お父さんは何もしてくれなかったのによくそんなことを言うよね」というような言葉を父にぶつけた。
父は黙っていたように思う。これが最後の会話になった。