後悔の残った見送り
8年前の8月のことです。その後、動物病院から動物専門の葬祭場を紹介してもらい、当日はココも連れて夫とピンの想い出の場所を回りながら目的地までクルマを走らせました。午前中は晴れていたのに午後はドシャ降りに……。涙雨を通り越していました。
私が喪主になった初めての葬儀がこのときだったのです。犬ではありますが、学ばせてもらったことは数え切れません。もちろん後悔もたくさんあります。最期をなぜ病院で迎えさせてしまったのか。撫でてあげるだけで、どうして「抱っこしてもいいですか?」と獣看護師さんに確認できなかったのか。なぜもっと声をかけてあげなかったのか。葬儀のときの花が少なすぎたのではないか……などなどです。でも、この経験があったからこそ、翌年、父を送る際、私はやれるだけのことを全部やることができました。
父はがんのため87歳で旅立ちました。
在宅で看護をしていたのですが、家のベッドから転倒した際、持ち上げられないと判断した母が動転し、救急車を呼んでしまったのです。結果、病院に搬送され、最期の10日程は病院で過ごしました。入院当初は意識もあったし、元気だったのですが、入院した途端、みるみる内に容体が悪くなっていき、おむつを着けることに……。
腹水もどんどん溜まっていきました。なのに、なぜか母は父が帰宅した後の準備に動き回っていました。書類を書いたり、借りられる器具について調べたり……。夫は治って家に帰ってくる。まさか、このまま夫が亡くなってしまうとは思っていなかったようです。このときの母の姿はピンを亡くす前の私と同じでした。
が、私は、父はもうここで亡くなってしまうのだと覚悟を決めていました。それはピンが教えてくれたこと。最期の1週間は病室に毎晩泊まり、苦しがって呼吸器を外してしまう父の口に呼吸器を戻し、寝返りをさせ、氷枕を取り換えました。しかし母には「泊まる」発想すらなかったのです。その後、「私も泊まる」と言い出したのですが、ベテランの看護師さんから「お母様まで倒れたら大変だから、付添うのは娘さんだけで」と止められ、母も「そうね」と応じました。こういう母の性格についてはまた改めて書ければと思います。とにかく何もかもが私とは正反対。互いに理解することができない状態です。