ピンのお陰で少しだけ持てた「別れる力」

入院して間もなく、まだ少し元気だったときの父は、テレビに出ている私を指し、看護師さんやお医者様に自慢をしていたそうです。それはそれで親孝行だったかと思います。それより半年程前から父には事あるごとに「何か欲しいものはある?」「誰か会いたい人はいる?」と聞き、できる限り叶えてきました。

最大のことは、父が大ファンだった女優の北原佐和子さんとの対面です。介護士の資格をもつ北原さんは、私の実家まで父を訪ねてきてくれて、戦時中の話や、戦死してしまった友人の話などを優しく聞いてくださいました。北原さんは最期、病院にも駆け付けてくださって…。父は幸せだったと思います。

父が望んだ「家族葬」に固執した母は、自宅で葬儀をし、火葬場に行くと決めていました。どうしたものかと夫の友人の葬儀屋さんに助言をあおぐと、葬儀所の広い部屋に親戚や知人を招き、火葬場で葬送する「直葬」というプランがあることを教えてもらいました。結果、短い時間ではありましたが、参列者に父とのお別れをするひとときを提供することができました。

果たして、年齢のせいなのか、この3年程は葬儀に参列することが増えてきました。
つい先日も、TBSラジオ時代の仲間であり、その後、文筆家になった同年代の男性の葬儀がありました。訃報はネットニュースで知りました。それぐらい、近年はお付き合いがなかったのですが、当時の仕事仲間に連絡、相談し、供花の手配をしました。

彼はかねがね「葬式はやってくれるな」と言い続けていたそうで、奥様は、一般の通夜・告別式を両日共「送別会」と名付け、連絡があった人にだけ、その日時を教えてくれました。「マスコミには『近親者のみで』と言ってしまったのですが…」というメールの行間から「来てほしい」という想いを感じ取ったのは私だけではありませんでした。仲間たちと「行く…よね?」と確認しあい、行ってきました。行ってよかったと思っています。

同年代の友人や知人が立て続けに旅立ったこの3年程。おのずと自分の余生や余命を考えたり、生や死と向き合う機会が増えたりしている間に、以前より少しは身に付いた「別れる力」。空を仰ぎながら、私はもうちょっと、がんばってみるよと呟いたら、不思議と自分が強くなれるような気にもなれました。

それを教えてくれたのは愛犬・ピンであることは間違いありません。

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