1998年6月、中国を訪れた時に撮影した父・宝田明さんとのツーショット(写真提供:児島未散さん)
27年ぶりとなるアルバム『Sing for you…』を発表した児島未散(こじまみちる)さん。活動再開第一弾としてリリースされた本作は、セルフカバー4曲と書き下ろしの新曲6曲で構成された珠玉のアルバムだ。 俳優である宝田明さんと、アジア初のミス・ユニバースを獲得した児島明子さんを両親に持つ児島さんが歌手デビューしたのは1985年。デビュー曲「セプテンバー物語」は、作詞を松本隆さん、作曲を林哲司さんが担当。たちまち注目を集め、1990年には「ジプシー」が60万枚の大ヒットを記録した。その後、芸能界引退、渡米、子育て、父の死を経て、「やっぱり私は歌いたい」と熱く語る児島さんに、心の経緯と歌手活動再開についての思いを聞いた。(構成◎丸山あかね 撮影◎本社 中島正晶)

亡き父・宝田明を忍んで

2022年の3月14日に父・宝田明が誤嚥性肺炎で亡くなりました。3月10日に主演映画の舞台挨拶に参加したあと、疲れたと不調を訴えて入院したと聞いています。私が最後のお別れをしたのは18日でしたが、その時に父と一緒に過ごした日々のことを思い出していました。

私が小さな頃、父は家のいろいろな場所で自分がミュージカルの舞台で歌う歌の練習をしていて、私はその姿を見るのが好きでした。父の歌を聴いているうちに心が躍り出すようなワクワク感が湧いてきたことを覚えています。『マイ・フェア・レディ』を観に行った時の感動といったら……。舞台の上の父はキラキラと輝いていて、なにやら遠い人に思えて切ない気持ちになったほどでした。父と永遠のお別れをするまで、自分はピンクレディーやユーミンに憧れて歌手になりたいと思っていました。それも事実なのですが、その奥に父が舞台で歌う姿を見て「素敵! 私も歌いたい」と思った自分がいることに気づいて、涙が止まりませんでした。

ダンディと言われることの多い父でしたが、家にいる時はパンツ一丁でウロウロ(笑)。ところが家を一歩出た瞬間にスイッチが入って宝田明になってしまうというのが子ども心に面白かった。当時はよく箱根へ家族旅行にでかけていたのですが、父は私たち家族を連れて、観光客でにぎわう界隈を何度も行ったり来たりするのです。母と私たち子どもは疲れて「もうホテルに帰りたい」となっているのに、父は宝田明の顔をして、出会う人たちの黄色い声に応えて手を振ったり、駆け寄ってこられる方に「一緒に写真を撮りましょう」と声をかけたり。サービス精神が旺盛だったんです。

 

七五三の家族写真。一番右が児島さん(写真提供:児島未散さん)