自分を客観的に見つめるために渡米した
デビューした時、私は18歳でした。当初、母は反対していましたね。芸能界は甘くはないと。私は弟が二人の一人娘なものですから心配だったのでしょう。やがて大学を卒業したらという条件つきでなら応援すると言ってくれるようになったのですが、そんな高校時代のある日、歌の世界で仕事をしていた母の知人に「歌手になりたい」と相談を持ち掛けたところから歌手への道が拓けました。レコード会社の方を紹介していただき、ボイスレッスンをしたり、デモテープを作ったりといった1年ほどの準備期間を経て、1985年に「セプテンバー物語」でデビュー。父から「頑張って」とか「テレビで観たよ」という手紙が届き、とても励みになったのを覚えています。
デビューから37年。「ジプシー」のあとも、新曲を発表したり、アルバムを出したり、95年には『3年B組金八先生』に英語の先生役で出演させていただくなど、女優としての活動も開始していたのですが、98年に芸能界を引退しました。当時、私には「与えられた曲を歌い、用意していただいたお仕事をする児島未散」という意識があって……。周囲の方に守られた中で活動させていただいていることに感謝しながらも、このままでいいのだろうか? と感じていました。
それから自分は親とは関係なく、「児島未散」として認めてもらいたいという気持ちもあったと思います。いずれにしても一旦立ち止まって、自分が本当にやりたいことや自分らしい人生というものについて考えてみたかった。そのためには今の環境を離れ、客観的に自分を見つめる必要があるということで、31歳の時に単身渡米し、西海岸で一人暮らしをはじめたのです。
満足に英語も話せないのに、誰も知り合いのいない異国の地で暮らすというのは無謀で、想像していた以上に過酷な日々が待ち受けていました。たとえば銀行口座を開くだけでも四苦八苦。日本人オペレーターはいないと言われ、「どうしよう!」と頭が真っ白になって、でも助けてくれる人はいません。辞書を片手にジェスチャーを交えて必死に希望を伝えること3時間。なんとか自力で乗り越えましたが、これは前途多難だとクラクラしてしまいました。(笑)
こうした経験を経て痛感したのは、自由と自己責任はセットなのだということです。フリーダムと言うとストレスがまったくない世界を想像してしまいますが、現実は厳しい。でも厳しい現実と向き合ったからこそ、精神的に自立しなければという覚悟を備えることができたのだと確信しています。