最後に待っていたのは…

1年後、勉強を続けた結果、なんとか最低限の英語の点数が確保できた。やればできるっていうけど、いままでなんでやらなかった?と変な後悔をした。ちなみにこの時点では、留学について家族には内緒。40代で「留学したいー!」なんて口が裂けてもいえない。「ママも、勉強してるんだよー」と言いかけたのをこらえて、孤独な試練は続いた。

なんとか最低限の英語の成績が確保できた私を待っていたのは、また新たな地獄だった。フルブライト奨学金への応募書類、とりわけ留学先で何を研究するかといった膨大な計画書を、全て英語で書かねばならない。もともとNHK出身で、今はドキュメンタリーの仕事をしている私は、気候変動をライフワークとして20年以上取材を続けている。研究計画書は気候変動をテーマに書こうと決めたが、日本語で書いても難しい話を、英語にするのは完全にお手上げだった。

そして、非常に巡り合わせが悪いのだが、計画書を書かねばならかった 2019 年の7月、私は小学校の保護者会の学年代表役員をしていて、バザーの二千人分の弁当の責任者として、連日保護者会の集まりがあった。「なんでこんな時に」と思ったが、愚痴る暇はない。英語書類は自分だけではできないので、英語が堪能な社内プロデューサーにチェックをしてもらい、最後はベルリッツに駆け込んで、ネイティブの先生に添削の相談をした。ベルリッツは正直とてもお高かった。だけど、奨学金を得るための投資と割り切った。オトナにはオトナのやり口がある。

その後、面接などいくつかのプロセスを経て、2019 年晩秋、私はついにフルブライト奨学金に受かった。〈フルブライトで NY に留学〉 それは、まるでアメリカンドリーム。信長にもシンデレラにも感謝しながら、手続き書類をもらったのが 2019 年の 12 月。これから家族を説得して、仕事を整理して、と期待に胸膨らませていた私は、この時、まだ何も知らなかった。

翌 2020 年の1月に、中国の武漢を震源地とするコロナウイルスが世界各地を襲う事態になることを。そのせいで、留学は延期され2022年まで待たねばならなくなることを。