今の自分があるのは奇跡

自分が信じた人とはいえ、誰かに委ねるというのは勇気のいることです。でも、その勇気を備えることが一流の条件だという気がします。そして、どんな結果を招いても人のせいにはしない。

僕は本来、過去を振り返るのは好きではありません。でもコロナ禍をきっかけに、「仕事があるのは当たり前ではない」「どうすれば振り落とされずに生き残ることができるのか?」と考えて、気づいたことがありました。

それは、前へ進むだけでなく、原点に戻って自分を見つめ直すことも、成長であり進化なのだということ。改めてデビューの頃に遡ってみたら、今の自分があるのは奇跡なんだと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

芸能界に入ったのは15歳の時。当時近所に住んでいた女性が、東宝映画『潮騒』のオーディションに郷さんの書類を送ったのがきっかけだった。オーディションには落ちたが、会場にいたジャニー喜多川さんに声を掛けられた。

オーディション会場でジャニーさんに出会って2週間くらいたった頃に、「一度事務所に遊びに来ない?」と自宅に電話をもらいました。当時、ジャニーズ事務所は渋谷に建つビルの一室だったんです。ビルの前で大勢の女の子たちが誰かの出待ちをしていて、僕は「あの子たちを押し分けてビルのなかに入らなくちゃいけないのか」と10分くらい逡巡していたのですが、意を決して事務所に向かったのを覚えています。

その日、ジャニーさんに連れられてNHKへ行き、いきなり大河ドラマ『新・平家物語』で平清盛の異母弟である経盛役に決まったと告げられました。その後、フォーリーブスのコンサートがあるから一緒に行こうと誘われて、飛行機で旭川へ。何がなんだかわからないうちにすごい熱気に包まれたコンサート会場にいて、しかもトシ坊(フォーリーブスの江木俊夫さん)の「僕たちの弟分を紹介します。ひろみくんです!」という一言でステージに呼び込まれたのです。

あまりにも急な展開に舞台の上で茫然としていたら、客席の女の子たちから「レッツゴーひろみ!」という掛け声が起こり、それが芸名、「郷ひろみ」の由来です。ジャニーさんは「レッツゴーひろみ」で行こうと提案していたけど、いやいや「レッツ」は取るでしょうと抵抗して。(笑)