歌が台詞の代わりになるミュージカル

「リアリティ」には、現実社会にありえることという意味とは別に、物語内での真実性という意味がある。たとえばファンタジーの物語は私たちの現実社会とは全く異なる世界であるにもかかわらず、その中で生きる登場人物たちの行動に共感したり涙したりして感情移入する場合、私たちはそれをリアルだと感じている。

設定が何であれ、台詞で進められる演劇の世界は、私たちの日常と同じような形態のリアリティ世界である。そのドラマの最中に流れている音楽はあくまで会話ベースのドラマの背後にあり、BGMである。

たとえ映画などで物語の最中に主題曲をじっくり聴かせる場面があったとしても、それは台詞とは異なる情緒を補強する(あるいは劇的効果として対置させる)ためのものであり、台詞と同じ次元の存在にはならない。

しかし一方、歌(歌詞&旋律+伴奏)でドラマを進めるミュージカルにおいては、歌が台詞の代替として同等の存在となる。全編が歌で進められるミュージカルの場合、それは歌の世界のリアリティとして成立しているのであり、私たちの日常世界とは異次元の一貫した物語として受け止めることができる。「すべてが歌で綴られる世界」だと了解できる人にとっては、常に歌で芝居が進められることにそれほど違和感はないかもしれない。

音楽劇においては台詞で成立する世界と、歌によって成立する世界それぞれが独自の論理を持って一貫したリアリティを築けるという前提に立てば、ミュージカルにしばしば付随する違和感は、これが混在し、二つのリアリティ世界を行き来する時に生じると考えられる。

会話で進んでいた話が、突然歌に変わる時、歌い終わってまた話し出す時、などである。そこでは物語を進める言葉の流れとテンポに断絶が生じてしまうわけである。ミュージカルとは、本質的にこの断絶を抱え込んだジャンルだと言えよう。

しかし、映画の音楽が時間と場所の飛躍を無理なく繋ぐように、ミュージカルの音楽も、異なる次元の世界を繋ぐ役割を果たせるはずである。